ブルックスブラザーズのシャツが並ぶ、ニューヨークの売り場。その一部を支えていたのは、ノースカロライナ州の小さな町Garland(ガーランド)にある工場でした。

ブランドのロゴやMade in USAの表示からは、働く人の顔までは見えません。しかし現地の取材を読むと、一人ひとりの注文に応える仕事、長年の経験、工場とともに暮らしてきた町の姿が浮かび上がります。

定番のシャツと、一人のための注文品

Garlandが担ったのは、同じシャツを縫い続ける仕事だけではありません。2018年のBusiness North Carolinaの取材は、肩幅、袖丈、首回りに加え、腕時計を着けるために左の袖口へ余裕を持たせる注文を紹介しています。

同記事によれば、オバマ大統領が最初の就任式で着たシャツも、この工場で仕立てられました。著名人の特別な場面と、着る人の身体や生活に合わせる細かな指定。その両方を現場の仕事として引き受けていたのです。出典:Business North Carolina・2018年の工場取材

袖口のわずかな余裕は、写真では分かりにくいかもしれません。それでも、毎日腕時計を着ける人にとっては使い勝手に関わる違いです。Garlandの技術を考えるときは、工場の名前だけでなく、こうした注文を一着に落とし込む仕事にも目を向けたくなります。

「30分の作業」と「3週間の工程」

2020年のNews & Observerの現地取材では、最盛期に週7,000枚のシャツを製造し、その多くがOriginal Polo Button-Down Oxfordだったと紹介されています。一枚に必要な労働時間は約30分、一方で生地が工場に入り、完成品になるまでには約3週間を要したと記されています。出典:News & Observer・2020年7月の工場取材

この二つの数字は、異なる時間を表しています。約30分は一枚にかかる作業時間で、約3週間は工場の中を通って完成するまでの時間です。一人が3週間かけて一枚を手縫いした、という意味ではありません。

裁断した部品を組み立て、各工程をつなぎ、完成へ進める。工場の服作りを知るには、個々の縫製の速さだけでなく、工程全体がつながっていることも見る必要があります。なお、生産枚数や所要時間は取材時の記録であり、全時代・全製品に共通する数値ではありません。

工場の経験は、人の中にも蓄積していた

閉鎖と再開を追ったWRALの取材には、工場で34年間働いたKatie Herringが登場します。2020年の失職を経て、翌年、以前の仕事に再び応募しようとしていました。

設備の保守を担っていたJoe Osorioも、従業員が離れた後の工場を見守り、再開を迎える気持ちを語っています。建物やミシンを残すだけでなく、縫う人、設備を維持する人が戻ることが、再稼働にとって意味を持っていたと読み取れます。出典:WRAL・2021年7月の再開計画取材

長年の経験を持つ人が工場を離れれば、再開時に全員が戻れるとは限りません。別の仕事や暮らしへ進む人もいるからです。現場の技術を継承するという言葉には、人が戻って働ける条件を整えることも含まれます。

小さな町にとっての、約150人の仕事

WRALは、当時約600人が暮らす町で、閉鎖によって約150人が仕事を失ったと伝えています。従業員の居住地が全員町内とは限らないため「住民の4人に1人が失業した」とは計算できませんが、町の規模に対して大きな職場だったことはうかがえます。

同じ取材では、近隣の飲食店の経営者も、工場の駐車場が空になったことや地域の収入が失われることへの思いを述べています。工場の仕事は、従業員だけで完結せず、周囲の店や暮らしにもつながっていました。

Made in USAを、この町の側から見れば、製品の生産国表示であると同時に、どこで仕事を続けられるかという問題でもあったのです。

2021年の再稼働で、戻った仕事と広がった製品

2020年の閉鎖後、Garland Apparel Groupが工場の再開を進めました。業界媒体NEEdle’s eyeに掲載された地元記者の記事は、正式な再開を2021年10月としています。

再開から一年を迎えた時点では、従業員は109人。同記事に載った社長Sacha Smitsの説明によると、ブルックス向けシャツの生産も再び行い、ほかの顧客向け製品や米海軍向けの制服などへ仕事を広げていました。出典:NEEdle’s eye「One Year On: Garland Factory Alive」

さらに2023年2月の地元放送局WWAYの報道も、100人以上がシャツ、パンツ、スーツジャケットを製造し、採用活動を行っていたことを伝えています。出典:WWAY・2023年の採用イベント報道

以前の仕事を取り戻すだけでなく、複数の顧客や製品へ広げる動きもあったわけです。これらは各報道時点の記録で、現在の人数や取引先を示すものではありません。

ブルックスの工場だった時代と、その後

Garlandの歴史を読む際は、町に工場ができた時期、ブルックスが取得・運営した時期、新たな体制で再開した時期を分ける必要があります。

取得・運営の開始時期については、2018年の取材記事が1982年の取得、韓国公式年表が1980年の工場設立と記す一方、2020年の現地記事には当時まで約18年の運営とする記述もあります。資料間の相違が解消できていないため、本稿では開始年を一つに確定しません。出典:ブルックス韓国公式年表

一方、2020年の閉鎖と、その後Garland Apparel Groupとして再開した経緯は確認できます。再開後もブルックス向けの仕事があることと、ブルックスの自社工場であることは同じではありません。発注する関係と、工場を所有・運営する関係は別です。

古着のシャツから、作り手へ目を向ける

米国製やMakersの表記だけで、すべてのシャツをGarland製と決めることはできません。個々の製品の工場を特定するには、その服に対応する資料が必要です。

それでも、Garlandを知ることでシャツの見方は少し変わります。袖口の寸法を合わせる仕事、工程をつなぐ人、ミシンを維持する人。その積み重ねが、売り場では一枚の完成した服になっています。

Garlandの物語は、閉鎖された名工場を懐かしむだけでは終わりません。そこにあった経験を、別の体制のもとで次の仕事へつなげようとした人たちの物語でもあります。

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